ねことアロマとクリスタル

京都の隠れ家アロマサロン エトワールのセラピストchacoの徒然日記

厳しい愛

お掃除をしていて、
昔の手紙が出てきました。
(旧姓岩井です)



私が美容の世界に入ったのは18歳。

当時住み込みでお店の上にあった寮生活。
炊事も三食先輩とペアで全員分作ります。

美容の仕事は大好きだったので、
技術を覚えたり、仕事自体はとっても楽しかったけど、
1人になれるのはトイレだけで、

あとは全て先輩とともに過ごし、

外出さえも遠くは先輩とでなければ出てはいけませんでした。

ずっと勝手気ままに過ごしてきた18歳までの生活が一変です。

もう監獄状態~(^_^;)

それでもそこにいれば、
婚礼の着付けができるまでのしっかりした技術を無償で教えていただけたのです。

その代わり最低でも5年はお礼奉公は必須。

私は兄も美容師だったので、
他のお店はそんなことなく自由だと聞かされ、やめたい思いは募るものの、
一年は頑張ろうと決めていました。

当時一番優しく接してくれた信頼していた先輩に、やめたいと何度も話し、引き止められました。
このまま辞めたら美容師にはなれない、
絶対残ったほうがいいと。

でもそれでも辞める意思が固まってその気持ちを伝えると、
先輩はそれから仕事の指示以外
殆ど口をきいてくれなくなりました。

先生方もお話しし、これまでかかった費用もお返しする事で納得して下さって。
。。

美容室は成人式が終わって、ようやくゆっくりできるという節目で、
私も成人式が終わったら出て行くつもりで計画していました。

当時の成人式は50名以上こなすため、寝ずに着物の準備をして当日は早朝4時ごろからスタート。
これまでの感謝も込めて一生懸命最後の仕事をしました。

終わったらみんな崩れるように眠ってしまいます。

私は終わったらすぐに出て行くつもりで
荷物をまとめて置いていました。

みんなが寝静まった頃、
兄に迎えに来てもらって荷物を積んで兄のアパートについて、荷物を開けると、
布団袋に一枚の手紙がありました。


それがこの写真です。


その名前を見て一瞬驚きました。


それは、いつもいつもうるさく指導されて、本当に苦手だった先輩からの手紙だったからです。

当時は誰にも殆ど合わせず、
黙々と真面目に仕事をされて、
後輩や同期にも口うるさくて煙たがられていた先輩。

優しい言葉なんて一度もかけられた事はなかったけど、
誰よりも私のことちゃんと見ていてくれたのだと、胸が熱くなりました。

表面だけではない、
厳しさと優しさをちゃんと持った大人の姿をみせてもらった気がしました。

今はどうされているのかな?

先日車で20年ぶりに通ってみたら、
今はそのお店は無くなっていました。



あの大変な経験のおかげで、
それから先の美容人生は
ちょっとくらい辛くても耐えられました。

全て本当に意味があって、
自分のためなんですね。


真に強い人は
真に優しい人。

やっぱり
強くなりたい~。


ちょっとセンチメンタルなちゃこでした。